「KY」について
いわゆる「空気読めない」の略で流行語となった「KY」であるが, そのKYという表現が流行する世情に絡めて, 宮台真司氏がブログに記事を書いている(出でよ、新しき知識人 「KY」が突きつける日本的課題)。
また, 池田信夫氏も「空気を読むな」と題して, 同様に 論説している。
宮台氏の記事は, 結構長い。その中で, もともと日本は「空気を読む」ことが要求される社会であり, 団塊ジュニアの世代はその「空気」が読めなくなってきている。と主張している。
また, 池田信夫氏は, 「空気」(または 山本七平の言う「水」)の原理が 元々農耕民族であったことに由来するとし, 経済学者たちはその遺伝的・文化的環境の影響よりも合理性を重視する(からダメだ)と指摘している。
私が「KY」と言う表現に強い反発を覚えるのは, 宮台氏や池田信夫氏が書く「崩壊してしまったコミュニケーション」などの状況ではなく, 宮台氏も書く"単に「空気に支配される」のを超えた「同調への強迫的命令」
"に支配された世相を憂慮するからである。(それは 私が学生であった頃もあったが, 近年 より強固になっていることをこの「KY」の流行が表しているのではないか? と危惧している)
トラックバック(1)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 「KY」について
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.tab2.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/137
はじめまして。
>単に「空気に支配される」のを超えた「同調への強迫的命令」"に支配された世相を憂慮するからである
私も、最近そのような気がします。あまり過度に
なんでもかんでもKYというのは、どうかなと
思いました。
いい記事を書いていらっしゃいますね。